哲学科を卒業しました

1985年3月、東洋大学文学部哲学科を卒業しました。
普通に就職するのが嫌で、紹介で入れてもらった広告代理店を3ヶ月で辞めました(今考えると実質解雇だったと思います)。
その後、あてもなくブラブラと今で言うニートで3ヶ月ほど過ごしていました。

エンジニアになりました

仕事もなく無為に過ごし続けることもできず、雑誌で見かけた会社にアルバイトで入社。
時給が当時としてはよかったので、肉体労働だと思って行ったら、コンピュータ周辺機器の修理請負会社でした。ちなみに当時の周辺機器とは紙テープのことです。
見たことも聞いたこともない装置と道具に戸惑いながらも、その面白さにのめり込んでいきます。
元々文化系じゃなかったのかも?とこの時思いました。

社長になりました

その後、技術系の下請け専門だったその会社からあちこちへと出向という形でいろいろな業種につかせてもらいました。その度ごとに機械や業界に触れ、おかげさまでどこへ行っても技術職という意味では重宝される存在となって行きました。
出向先の女性との結婚を機に出向を解かれ、現職を外部からの請負という形でこなすこと数年。受託業務を柱とした新会社を立ち上げることに。当初は元の会社の社長に代表取締役を兼務してもらっていましたが、会社をもっとよくしたい、伸ばしたいという思いから自ら新社長として立つことに。

売上規模三倍へ拡大

3人から始まった会社は、自分が社長になるころには昔の仲間が加わり役員含め5人となりました。
と同時に、新規に社員を採用。彼らの一生が自分の肩にかかってる。社長としての最初の仕事が、そう覚悟を決めることでした。
ハードウェア系の増員は順調に進み、先輩方の後押しと取引先の配慮をいただき地方に支店をだせることとなりました。
また、旧知の後輩の努力により新規にソフトウェア受託開発の仕事をいただくこともでき、さらに紹介をいただいた方から社員の増員とともに仕事量の増加となっていきました。
気がつけば沢山の人のおかげで、社長就任から5年で売上は3倍へと増えていきました

社長を解任されました

2008年。走り続けていた自分。社員は30名近くまでになっていました。このころ社内では、社員間の妙な派閥のようなものができていたようです。
そして、あのリーマン・ショック。ソフトウェア開発部門は大打撃を受け一時瀕死の状態にまでになりました。
このことも含め会社内部での様々な問題が一気に噴出。かねてからの役員間での対立やオーナーとの軋轢に、結局社長を解任させられることに。彼らは社長解任の理由を正当化するため、様々な作り話をあちこちで吹聴していました。
私はそれらを一切釈明することなく、すべての非難を甘んじて受け入れ社長職を降りました

社労士を目指しました

社長時代に感じたこと。労務には労務の専門家が必要であるということ。それもちゃんとした法律を理解している専門家。それは社会保険労務士。
当時の自分にはいくつかの事情で社労士に顧問契約を依頼できませんでした。社員の問い合わせに曖昧な返答しかできない自分。募る社員の不信感。抑えきれない求心力の低下。
それが、自分が社労士を目指すきっかけでした。社員が一人でもいれば会社にとって一番最初に必要な相談相手は社会保険労務士だと、今の自分は言い切ることができます。
だからこそ社労士を目指してゼロから勉強を始めたのです。

病気がみつかりました

社労士への道を目指すべく勉強を続けるさなか、右足首に妙な感覚を覚え病院に検査に行きました。MRI、脳波検査の結果、告げられた病名は「脳腫瘍」。脳の左真ん中あたりにピンポン球大の腫瘍がありました。
脳外科の先生は言いました。「大きさから言って開頭摘出手術が必要です。術後は右半身に後遺症がでるでしょう。場合によっては社会復帰は難しいこともあります」
12月24日クリスマスイヴのことでした。

開業しました

脳腫瘍の発覚後、日に日に右足首の痙攣はひどくなり夜中に救急車で運ばれること2回。ですが、不安と恐怖に怯えながらも社労士の資格試験への勉強は諦めませんでした。
おかげ様で手術は成功。麻痺は右足の一部に残りましたが、リハビリでなんとか杖を突いて歩けるようになりました。
試験はその年の8月にありました。杖をつきながら会場へ向かい受験。内容はともかく、やりきったという満足感でいっぱいでした。
結果は見事一発合格。晴れて国家資格保持者、社労士として登録・開業することができたのでした。

コーチングを身に着けました

社労士としてお客様とお話しをさせて頂く中で、どうしても達成できないジレンマに出会いました。
「社長としてわかっている、わかっているけど行動に移せない」こんな方がいらっしゃいます。常識的にそういうものだとわかっている。法律ではそうしなければいけないと知っている。でも今はそれができない。そんな時、士業の無力さを知りました。コンサルタントといいながらちっともお客様の本質的な課題解決が出来ていない。
そんな時出会ったのがコーチングでした。どんな社長も必ず解決できる答えを自分自身の中に持っています。それを引き出すためにコーチとしてのスキルを身に着けました。

経営者の孤独を知っています

高田は、会社の経営にとって最も重要視すべき「人」にフォーカスを当て「人」が働くことに幸せを感じてもらうためのお手伝いをする仕事をしています。
動物と違って人間だけが、自分が生きるためでなく、働くことのために働くことができます。働くとは他人に尽くすということにほかなりません。そのため、経営者には、働く人がよりよく働けるよう尽くす義務があります。ところが、その義務を理由に社長の中には自己犠牲を自分に強いようとする人が多くいます。
経営者が孤独といわれる所以です。

自己犠牲のジレンマから抜け出しませんか?

自分より、家族より、社員。社員の生活さえ守れれば自分はどうなってもいい。こんな風に順番をつけていませんか。社員を大事にする姿勢はとても大切です。ですが、社長の自己犠牲が会社を支えている、この会社をよくするためにはそれが必要なんだとお考えだとしたら、ちょっと待ってください。そんな毎日苦虫を噛み潰したような表情の社長の下、社員は本当に幸せになれるでしょうか。たとえ人の前では笑顔を取り繕ってみたところで相手は敏感にそれを感じ取っていることでしょう。
社員にこの会社が楽しいと思ってもらうために大切なのは、社長自身が一番最初にこの会社で働くことの楽しさを心の底から実感することではありませんか。

楽しい嬉しい気持ちいい経営に向けて

経営者として生きると決めたからには、会社の誰よりも素晴らしい人生を歩むことを決意したということに外なりません。
そして、それは自己犠牲と戦うことではありません。まず一番最初に経営者がよりよく楽しく働くこと。社長業とは「楽しく、嬉しく、気持ちいいもの」であることをです。
社長自身が楽しく働くため、社員がよりよく働けるようになるため、高田はあなたと一緒に歩みます。
社長が自己犠牲の精神から解放され、楽しい・嬉しい・気持ちいいい経営を手に入いれる。高田はそんなコンサルコーチでありたいといつも願っています。
会社をよくするのは、社長の仕事。いつでも気兼ねなくお問合せ下さい。

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